市川の地に人が住み始めた歴史は古くは縄文時代にさかのぼる。市の北部には大小いくつもの貝塚や遺跡が発見されており、その数は118箇所に及ぶと言われている。その中でも国の史跡に指定されているのが、姥山貝塚/曽谷貝塚/堀之内貝塚の貝塚である。本シリーズの冒頭では、市内の主要な各貝塚の詳細について記述したい。
<姥山貝塚>
姥山貝塚は縄文時代中期から後期にかけての貝塚で東西130m、南北120mに及ぶ馬蹄形をした貝塚跡である。所在地は市川市柏井町という市の北西部となっている。
貝塚の調査は1893年(明治26年)以降、何度も実施されているが特筆すべきは、1926年(大正15年)に東京人類学会が実施した発掘調査である。この時の調査では、人骨や土器類とともに竪穴住居址が発見された。当時は竪穴式住居址が断片的に発見されたことはあったが、竪穴式住居址の全容がわかる形で発掘されたのは、この時の発掘が日本初であった。以降断続的に発掘調査が続けられ、現在までに、竪穴式住居址は39か所、人骨は143体が発掘されている。
現在では、姥山貝塚公園として整備され市民の憩いの場となっている。
施設名称:姥山貝塚公園 所 在 地:市川市柏井1-1235 入 場 料:無料 駐 車 場:無 アクセス:JR下総中山駅から「市川市営霊園」行きバス ->「千足」下車 徒歩約10分 ※データは2011年11月現在のものです |
現在は公園となっています。入り口はこんな感じです。
かなり広大な敷地はジョギングする人も多く見られます。
公園内には竪穴式住居の基礎部分が残されています
発掘当時の様子を解説する看板があちこちに立っています。
姥山貝塚の竪穴式住居の復元模型。折り重なるように成人男子2名、成人女性2名、子供1名の人骨が発見されたそうです。(市川考古博物館の展示より)
市川辺りは日当たりが良くて高台にあったので
居住区域としては最適だったのでしょうね。
私は近くに住んでいながらここには行けなかったです。
柏井という地名は千葉市にもありますが
何か意味がある地名なのでしょうか?
基礎部分は意外と野ざらしなんですね^^;
この地点で人骨が発見された・・・なんて聞くとドキッと
してしまいます。が、日本中こういう歴史があるんですよね。
へぇこの時代には既に陸地になっていたんですか。
今でも掘ると貝殻でてくるんですか?
いはちさん
姥山貝塚は意外と地味な存在ですので、地元の人でも
行ったことがない人も多いと思います。
私の小学生の時の社会科見学では加曾利貝塚に行きましたし・・
柏井と言う地名の由来は調べてもはっきりしないのですが
日本各地に柏井という地名があるようです。
千葉県花見川区の他にも、私が知るだけでも茨城、愛知、高知
で柏井と言う地名を確認しています。
ネズちゃん
基礎部分がなければただの広い公園のようです。
地元の歴史を調べてみると意外に身近なところに
史跡があったりして面白いですよ
餌釣師さん
当時は現在のJR総武線の線路あたりは海岸線だったようです。
この辺りは市内でも高台になっていますので、古くから人が
住んでいたようです。
実際に掘ってはいませんが、おそらく掘れば貝殻が出てくると思います
貝塚は私の子供のころは
縄文時代と言う呼び方で習いました
縄文時代から弥生時代へと同じ民族が文化を進展させたと習いました
どうやらこの30年でこのあたりのことも
歴史認識として覆ったようですね
あさとさん
歴史研究の深化とともに子供の頃に習った歴史も
変わっている部分もありますね。
そのうち邪馬台国のあった場所も確定されるのかもしれません