本年5月27日にタイとカンボジア国境で発生した銃撃戦に端を発した両国の緊張状態は、7月24日には本格的な戦闘状態となりました。
戦闘の場所となったウボンラチャターニ県は、小生の訪タイ時には必ず訪れる都市でもあり、高い関心を持って自体を見守っていました。
今回の紛争の経緯
今回の紛争の背景には両国の領有権に関すル争いがありますが、まずは2025年に発生した両国の紛争について、時系列に整理してみたいと思います。
- 5月27日:タイとカンボジア国境で両軍が銃撃戦となりカンボジア兵1名が死亡
- 5月28日:両国軍司令官による協議が行われ、一時的に停戦
- 6月23日:タイ側がカンボジアとの国境封鎖と経済制裁
- 7月24日:カンボジア軍が設置した地雷でタイ兵負傷。直後に七ヶ所以上の地点で戦闘が拡大、カンボジアのBM‑21ロケット砲とタイのF‑16空爆が実施される
- 7月28日:マレーシア(ASEAN議長国)が仲介し、停戦合意
- 7月28日:停戦が発効
※カンボジアから攻撃を受けたスリン県
本稿執筆時は両国で停戦合意が成立し、戦闘は行われていませんがこの状態が継続してほしいものです。
歴史的背景
先述の通り両国の間にはプレアヴィヒア寺院の領有権をめぐる国境問題があり、それが今回の紛争の背景となっています。ここからはその経緯について書いていきたいと思います。
アンコール王朝時代(9~15世紀)
現在のカンボジアのアンコール王朝は、現在のカンボジアだけでなく、タイ東部やラオス、ベトナムの一部にまで影響力を持っていました。そんな9世紀末に建立されたのが、今回の紛争のプレアヴィヒア寺院です。11世紀には増築され、現在の規模となっています。
欧州諸国のインドシナ進出
現在も続くチャクリー王朝は、第一次世界大戦前はインドシナ半島で最大の規模を誇る国家となっていました。しかし次第に英仏がインドシナ半島に対する関与を深めていきます。
- 1852年:第二次英緬戦争の結果、イギリスはビルマ南部を獲得
- 1862年:フランスがベトナム南部を獲得
- 1863年:フランスがカンボジアを保護領とする
- 1885年:第三次英緬戦争の結果、イギリスが翌年にビルマ全域を奪取
- 1885年:フランスが清仏戦争で清からベトナムに対する宗主権を奪取
- 1899年:1893年の仏泰戦争結果、フランスがラオスを植民地化
このような情勢を踏まえ英仏はタイに対し領土の割譲を求めます。ラーマ5世は国の独立を守るため、これを受け入れイギリスには現在のマレー半島の一部を、フランスに対しては現在のラオスとカンボジアを割譲します。
※タイの国土割譲状況
フランスはこの時の国境について、今回の紛争のきっかけとなったプレアヴィヒア寺院をカンボジア側と主張します。しかしプレアヴィヒア寺院は山頂にあることから、カンボジア側からはアクセスできず、タイ側からしかアクセスできないことから、タイ側が反発し曖昧な状態が続きます。
植民地解放後
1953年にカンボジアがフランスから独立すると、旧宗主国フランス同様に、プレアヴィヒア寺院の領有権を主張します。タイ側はこれに反発し群を派遣し、実効支配します。
これに対しカンボジアは国際司法裁判所(ICJ)に提訴します。ICJはが、タイがフランス地図に長年異議を唱えなかったため黙認したとして、プレアヴィヒア寺院はカンボジア領であるとの判決を下します。これを受けタイは軍を撤退させますが、周辺の土地の帰属に関しては曖昧な状態が継続します。
2008年にカンボジアがプレアヴィヒア寺院を世界遺産に登録申請をすると、両国の対立は再燃します。両国国境では複数回にわたって軍事衝突を繰り返します。
2011年にはプレアヴィヒア寺院周辺の土地の帰属を求め再びカンボジアがICJに提訴し、2年後にICJは周辺の土地はカンボジア領との判決を出しています。
最後に
今回の紛争を受け日本の外務省はカンボジア国境から、タイ側は50km、カンボジアは30kmを渡航中止勧告(レベル3)としています。また両国を結ぶ空路も減便などの影響が出ています。停戦合意後は、戦闘が行われているという報道はありませんが、再び紛争が発生しないことを望みたいと思います。
(2025年7月30日追記)
現地の報道によると一部でカンボジア軍からの攻撃がありタイ軍が応戦したとの話がありますが、拡大しないことを祈ります
この辺りは私がタイ業務にかかわったころにも
すでに火種の元でした
ただもう少し南の方だと思ってたのですが
案外北の方なのですね
歴史的にみますと
やはりこの辺りは今の国境線が民族とみあってないわけでしょうけど
その原因は植民地支配にありそうですね
タイ南部のマレー国境のあたりの火種もそうですから
あさとさん
パレスチナ問題もそうですが、第一次世界大戦から第二次世界大戦終戦までの欧州諸国のふるまいが、今の世界の不安定さの元凶となっている例は多くありますね。最近は何処の国でもナショナリズムが高まる傾向があるので、なかなか解決は難しそうです。
タイ深南部の問題はやはりイギリスが関係していますね。こちらは宗教問題も絡んでさらにややこしい事になっていますし、外務省の渡航情報もずっとレベル3の渡航中止勧告が出ていますね