市川市には「万葉の里」という愛称がある。これは万葉集に出てくる、手児奈(てこな)と言う女性に関する伝承に基づくものである。手児奈に関する伝承に関しては各種文献が出回っているので詳しい説明はそちらへ譲るが、Wikipedia に簡潔にまとめられているので引用したい。
『身なりはそまつだったが、とても美しい手児奈。多くの男性から結婚を求められたが、「私の心はいくつでも分けることはできます。でも、私の体は一つしかありません。もし、私が誰かのお嫁さんになれば、ほかの人を不幸にしてしまいます。」となやみ、海に行く(当時は真間山の下は海だった)。そのころ、日没になろうとしていた。「そうだ、あの太陽のように。」と思って海に身投げしてしまった。という伝説から手児奈霊神堂が作られた。』
(Wikipedia より引用)
手児奈入水に関する逸話時遠く都にも伝わり、手児奈は万葉集に収められている長歌にも詠まれた。この事が市川市の「万葉の里」という愛称の由来である。そんな手児奈を祀っているのが、市川市真間にある手児奈霊堂である。
現在の手児奈霊堂はそれほど大きなものではない。しかし立派な松と銀杏が一本づつ植えられ、規模は小さいものの由緒ある場所である事を感じさせる。また堂の隣には蓮池があるが、こちらは金網に覆われ直接触れることはできないのは残念である。しかしながら静寂に包まれた空間は古への美女に思いを馳せるには良い場所であると思う
真間の手児奈の伝承に関しては、その後の文学においても度々登場し、江戸時代には上田秋成の筆になる雨月物語の「浅茅が宿」編でも手児奈に関する逸話が登場する。その中でで登場する「真間の継橋」は手児奈霊堂の近くに再建されている。手児奈霊堂を訪れる際は合わせて見学したい場所である。
施設名称:手児奈霊神堂 所 在 地:千葉県市川市真間4-5-21 参 拝 料:無料 参拝時間:9:00~16:30 駐 車 場:有(但し周辺道路は極端に狭く車の通行困難) アクセス:JR総武線市川駅北口から徒歩13分 ※データは2011年11月現在のものです |
長めの参道の両脇には民家が並びます。
境内には大きな松と銀杏が植えられています。
本堂はあまり大きくはありません
堂の隣には蓮池がありますが、金網で覆われ中には入れません
同じ敷地内には真間神社があります。
「雨月物語」に登場する真間の継橋がすぐ近くにあります
最後に手児奈を詠んだ万葉集の長歌を二つ引用します。
山部赤人の長歌と反歌 |
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(長歌) 古に 在りけむ人の しつはたの 帯解き交へて 伏屋立て 妻問しけむ 葛飾の 真間の手児名が 奥津城を こことは聞けど 真木の葉や 茂くあるらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみも 忘らえなくに <万葉集3-431> (返歌) 葛飾の真間の入江にうちなびく 玉藻刈りけむ手児名し思ほゆ |
高橋虫麻呂歌集の長歌と反歌 |
(長歌) 鶏が鳴く 吾妻の国に 古に ありける事と 今までに 絶えず言ひ来る 勝鹿の 真間の手児名が 麻衣に 青衿着け 直さ麻を 裳には織り着て 髪だにも 掻きはけづらず 履をだに はかず行けども 錦綾の 中につつめる 斎児も 妹に如かめや 望月の 満れる面わに 花のごと 咲みて立てれば 夏虫の 火に入るがごと 水門入に 船こぐごとく 行きかぐれ 人のいふ時 いくばくも 生けらじものを 何すとか 身をたなしりて 波の音の 騒くみなとの 奥津城に 妹が臥せる 遠き代に ありける事を 昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも <万葉集9-1807> (反歌) |
(長歌の現代語訳)
山部赤人の長歌と反歌 |
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(長歌) むかしいたという男が しず織りの帯を解きあい 寝屋をしつらえ 共寝したという 葛飾の 真間のてごなの塚どころ 墓所を ここと聞けど 檜の葉が茂り 松の根が年古り 跡はわからね なれど 遠く久しき話 真間のてごなの名のみは われとても 忘られぬ 真間の手児名よ <万葉集3-431> (返歌) 葛飾の 真間(まま)の入江で |
高橋虫麻呂歌集の長歌と反歌 |
(長歌) (鶏がなく)東の国に むかしに あった事実として 今日まで 絶えず言い伝えてきた 葛飾の 真間の手児奈が 麻(あさ)の服に 青い襟(えり)を付け 純粋な麻を 裳(も:腰から下にまとったスカート)に織って着て 髪さえも梳(くしけず)らず 沓(くつ)をさえ 履(は)かないで 歩いて行くけれども 錦(にしき)や綾(あや)の織物の 中にくるんだ 箱入娘(はこいりむすめ)も この娘(こ)に及ぼうか 満月のように 真ん丸い顔で 花のように ほほえんで立っていると 夏の虫が 火に飛び込むように 港に入ろうと 船を急いで漕ぐように 寄り集まり 男たちが求婚する時 人はどれほども生きられないのに 何のために 我が身を思い詰めて 波の音が 騒がしい港の 墓所に この娘は横たわっているのだろうか 遠いむかしに あったできごとだが ちょうど昨日(きのう) 実際に見たかのように 思われることだ <万葉集9-1807> (反歌) |
手児奈伝説は東葛地区で地域の歴史の時間に習うことが
あるかと思います。
私もここまでしっかりと勉強はしなかったのですが・・・
ついでに、市川真間とか船橋の海神とかの地名の由来も
勉強したはずですが・・・すっかり抜けています。
けっこう大きなお堂なのですね。
それでも
きちんと管理され掃除が行き届いているんですね
最初の
私の心はいくつでも分けることはできます。でも、私の体は一つしかありません。もし、私が誰かのお嫁さんになれば、ほかの人を不幸にしてしまいます
とりようによってはすごく傲慢にも聞こえますが
素直な文面で理解すればよいのですね
いはちさん
私の頃は手児奈伝説に関しては地元の小中学校では
殆ど習いませんでした。本当はこういう地方史こそ
しっかり教えるべきとは思いますよね。
写真ではあまり狭く見えないようにアングルを工夫していますが
訪れてみると結構狭い所ですよ
あさとさん
はい、素直に理解してください。
由緒あるお堂だけにやはり清掃や植栽の手入れは行き届いています。
最近では安全や子育ての神様としても信仰を集めています
この当時は強引にかっさらって行ってしまうような男はいなかったんですかね?
美しい娘が悩んで身を投げるなんて悲しすぎます。
餌釣師さん
こういう悲しい話だからこそ、現代まで語りつがれているのでしょうね
当時の婚姻は男性が女性のもとへ通う、通い婚でしたが
さらうという事はあったのでしょうかね