日曜日にクリスマスが終わりましたが、毎年クリスマスシーズンになると街中で聞こえてくる定番ソングがあります。山下達郎の『クリスマス・イブ』やMARIAH CAREYの『All I Want For Christmas Is You』等は意識していなくても耳にする機会があると思います。
そんなクリスマスソングの代表作のうちの一つにWHAM!の『Last Christmas』が挙げられます。その『Last Christmas』を世に送り出した George Michael がイングランド南部オックスフォードシャー州にある自宅で12月25日に53歳で亡くなった。子供の頃から天邪鬼であった小生は、小学校高学年になるとアイドル歌手に熱中する同級生たちを尻目に洋楽を聴くようになっていましたが、その扉を開いたのがまさに、George Michael率いるWham!だったのです。そう言う意味で、George Michaelというのは小生にとって特別な存在だったのです。
1981年に学生時代の同級生であるAndrew Ridgeley と二人組デュオとしてデビューしたWham! はデビュー曲『Wham! Rap』でいきなり大ヒットを飛ばします。その後も『Club Tropicana』(1983年)、『Last Christmas』(1984年)、『Freedom』(1985年)などと次々とヒット曲を世の中に送り出し、Wham!の名をスターダムに押し上げる事となって行きます。Wham!の音楽を支えるのはGeorge の存在で彼の才能でWham!は成功を収めたと言っても過言ではありません。一方で相棒のAndrewは当時の音楽雑誌でも「Wham!のもう一人の何もしない人』等と揶揄され、次第に二人の不仲が囁かれるようになります。
そしてついに1986年6月28日にWham!はウェンブリー・スタジアム解散コンサートを最後にWham!は解散、Georgeはソロ活動に専念する事となります。翌1987年にリリースした1stアルバム『Fath』は米英のビルボードで1位を獲得し、『Fath」を引提げて行ったワールドツアーも大成功を収めます。現在見ても下の『Fath』のPVなんかは凄くかっこいいと思います。しかしこの時期がGeorgeの最高到達点であった事は、論をまたない所でしょう。
1990年に2nd アルバムの『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 1』をリリースするものの、その制作経緯を巡り所属先のソニー・ミュージックとの契約無効を訴え訴訟となります。結果はGeorge側の敗訴となり、Georgeはアルバム制作にも支障をきたす事となります。その後、1996年にヴァージンレーベルから3rdアルバムの『Older』をリリースするが、その頃から歌手としてではなくスキャンダル面での注目を集める事となってしまいます。
そんなスキャンダルを目にしながらもファンはGeorgeの復活、『Fath』の再来を望んでいましたが、悲しくもそれが叶う事はなくなってしまいました。奇しくも彼が亡くなったのが、12月25日のクリスマスです。彼の代表曲の『Last Christmas』を日本語に訳すと「昨年のクリスマス」ですが、今年のクリスマスはGeorgeにとってのLast Christmas(最後のクリスマス)となってしまいました。
合掌
う~ん
なんかネタが続きましたね
この世界は洋の東西にかかわらず
セクシャリティとドラッグは複雑ですね
LASTという単語は
最後のという意味ではあるのですが
日本人は間違った感覚を持っていますね
日本語の「最後」は過去形でも未来形でもどちらも正解ですが
こちらはほぼ過去形の「最後」です
あさとさん
こうして年末に訃報が入ってきたのは全くの想定外でしたが、期せずして続いてしまいましたね。
大変残念なニュースでした
まだ亡くなる歳ではないのに、もったいないです。
昨日からのにユースで何度もこのビデオが流れていますね。
merry Christmas & thank youのメッセージが悲しいです。
ご冥福をお祈りします。
いはちさん
まだまだこれからという年齢ですよね。
大変思い入れのある歌手でしたので残念でなりません
クラブトロピカーナとかフリーダムの頃は格好良かったですね。
何もやっていないように見えたアンドリューの役回りに関して、はたまたワム!の解散には諸説ありますよね、最近の事なのに(笑)
私も、この訃報には残念な思いではありましたが、仮にジョージが今も存命だったとしてもあの輝きが復活することは無かったでしょうね・・・
> ジョージが今も存命だったとしてもあの輝きが復活する
> ことは無かったでしょうね・・・
こちらに関しては同感です。ファンとしては期待はしていたのですが、やはりさまざまなことを考えると難しいだろうなと思っていました。
いずれにしても大変残念なニュースが年末に入ってきてしまいました