バリ島の過去を語る上で、やはり避けられないのが2002年と2005年に発生したテロ事件であろう。
2002年10月12日に発生したテロでは、クタのレギャン通りにあるディスコ、Sari Club前に止めてあった車が爆発し、周辺のディスコなどを吹き飛ばし202名という尊い命が失われた。このあたりはオージーを始めとする、白人が夜通し騒ぎ飲み明かすエリアである。今回の渡バリでも酔っ払った白人が店で暴れ、警官が出動するなんていう光景を目にすることもあった。
そんな場所だけに、当時イラク戦争などに絡んで反米を叫ぶ勢力からは、ターゲットには格好な場所であったのであろう。ともかくこの事件は、その死傷者数の多さや、9.11の翌年という事もあって、世界中を震撼とさせた。また衝撃を与えたのはバリ島自身に対してもであり、小生が2003年に渡バリした際の宿泊先であるホテル・ニッコー・バリの稼働率は3割弱とのことであった。
2回目のテロ事件は、2005年10月1日に同時多発的に3か所で発生した。死者数は20名。小生にとって最も衝撃であったのは3か所目の爆発場所が2003年の渡バリで利用した店であったことである。
現在ではバリの人もテロのことを忘れてしまったかのような、屈託のない人懐っこい笑顔を見せるが、決して忘れてはいけない出来事であると思っている。
2002年のテロ現場の近くには追悼モニュメントが作られました。
多くの死傷者を出したディスコの跡地は現在でも空地のままです。(ただ一部がバイク置場になっています・・・)
空地には平和を願う垂れ幕がかかっています。
こちらは2005年のテロ現場となったレストラン。2003年の渡バリの際は食事をしたところです。
以前は白人ばかりでしたが、最近ではジャワ人客も増えたようです。
※「ジャラン・ジャラン」とはインドネシア語で「散歩」の意味です。
テロ被害ですか…
〜橋が落下したりビルが倒壊したり航空機爆破があったりと危険度では意外とソウルも高いんです
何せ、お隣りと………
《[E:annoy]》ですから[E:bearing]
〜かつて旅した場所は 再度訪問したくなるものですよね
国内外問わず[E:happy02]
でも[E:coldsweats02]テロ行為は二度とおきてほしくないです
平和ボケした日本にいるとテロも戦争も対岸の火事にしか見えてしまいがちですが、それが自分の知っている場所で起きたのですから衝撃的だったんでしょうね。。
それでもまた訪問してしまうのですからさぞ素晴らしいトコロなんでしょうね。
海外にいて万が一テロに巻き込まれたら・・・と
旅に出るたびに思いながら、何となく過ごしてしまう
私です。
日本にいると、そのへんの神経がすり減って来てしまうのでしょうね。
柘植氏の本にいろいろ書いてありましたが。
無差別テロはやめて欲しいですね。
軍人が戦っている戦争以上に許せない事だと思います。
9.11も衝撃でしたが、バリやタイ、インド、トルコetcでも起きていますね。
しかし・・・広島と長崎の原爆ってテロとどう違うのだろうか?悩んでしまいます。
多分、私の美国嫌いもこの辺に理由の一部があるかもしれません。
さとさん
半島も「終戦」したわけではなくおくまでも「休戦」ですからね
何かのときにはいろいろと問題が起きますね。
落武者Rさん
今ではバリ島もすっかり安全になりました。
でも「危なそうな雰囲気」を察知するアンテナは海外では何処の国でも
必要になるように思います。
日本が安全過ぎるので日本人はそのアンテナがマヒしてしまいますが・・・
いはちさん
日本でもいつテロが起きてもおかしくないですよね。
ましてや外国人が昔と違ってかなり多く入ってくるようになってきていますし。
餌釣師さん
無差別テロにしろ、戦争にしろ、非人道的な行為には変わりないですね。
それを自分の行為のみを正当化する美国は私も好きにはなれません。
ここでしたか。
まさかと思うところでテロは起きますからね。気をつけないと。
中国みたいにあまり関わらないというのもテロを起こさせない方法でもあるのですが、それではテロを無くすということにはならないんですよね~。
Dr.鉄路迷さん
バリ島で最初にテロが起きた時は、まさかと思いました。
テロを根絶するのは、どこかの国のように力ずくなのは無理なのは明白ですが
根深い問題で難しいですね。