日本航空(以下、JAL)では、2011年3月にBoeing 747-400型機がすべて退役してから丁度、2年が経過した。退役時には飛行機の墓場とも言われるカルフォルニア州ヴィクターヴィル(Victorville)にフェリーされたという話も伝わってきたが、その後の現状について調べてみた。
JALではB747-400を44機運航していたが、このうち-400が32機がどこかの会社で登録がされている。思った以上にスクラップになっているものが少ないようにも見えるが詳細に見ていくと様々な事が見えてくる。まず現保有会社が「アエロセール インク」となっているものについてである。
アエロセール インクとは航空会社ではなく、航空機のリース・販売を行うカルフォルニア州の会社である。保有会社がこの会社となっており、現状が「保管」となっているものはリセール先が見つかっていないという事を示している。このまま売り先が見つかなければスクラップや部品取りの対象となる可能性があるという事を示している。ウェルズ・ファーゴ・バンク・ノースウェストという会社も同様の会社であるが、こちらは早々にリセール先を見つけ大半をトランスアエロ航空に売却し残りはスクラップとしている。
またJA8082はタイのプーケット航空に売却されたが、同社の経営不振により飛べないとう状況となっている。こうした結果、現在でも現役で活躍しているのは25機と半数近くが空から消えたということになる。一時期は日本の航空会社の花形機種であった、同機の現状をを目の当たりにすると、やはり時代の移り変わりを感じざるを得ないと思う。
【国際線機材として使用されていたB744の現状】
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【国内線・Cargo機材として使用されていたB744の現状】
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Vioctorvill をGoogle Mapで見るとこんな感じで飛行機がたくさん
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<参考リンク>
・Victorville で撮影されたJALの旧JA8910
・Victorville (Google Map のリンク)
飛行機、船舶から自家用車、単車・・・自分の関わった乗り物の末路は気になるものですよね。
JALの747は追っかけることが出来るんですね。
思えば、ジャンボも物心ついたときには就航が始まってましたからねぇ・・・
いろんな国の人が、外国にここまで簡単にかつ安価に行き来できるようにした功績は大きかったと思います。
B747型機は私が子どもの頃に導入されて
初搭乗をしたのが28歳の時でした。
ちなみに日本アジア航空・・だったかな。
特に二階席が好きで,成田に朝早く行って
二階席をリクエストしてから仕事に行った記憶があります。
まあ時代の流れや環境云々で退役を強いられる
のは仕方がありませんが、かつて花形だった
機材が最期を待つ姿を見るのはとても辛いです。
一番最後の写真、なんだか飛行機同士の話し声が
聞こえて来るようです。
私の747搭乗は意外と早く
19歳羽田⇒伊丹のJALでした
この時の往きはANAのL1011
はっきり言って飛行機に今ほど興味があったわけではありませんでしたので
747もL10もJASのA300も
大して変わらない印象でした
747にこだわりだしたのは
やはり国際線に乗るようになったからでしょうね
その快適さ(閉所恐怖症の毛がある私にとって)はほかに追従するものはなく
間違いなく就航路線では選んで乗っていました
大型機だからと言うこともありますが
B767以後
航空会社の使い良い機体ばかりができて
747のような遊び心と無駄のある飛行機がなくなって
飛行機がどんどん単純な移動手段と化して締まった気がします
とうとうLCCが搭乗してよりそういう感じになってきました
いつの時代になっても飛行機は特別なハレの日の乗り物だ・・・
なんて思ってた自分がやはり考えを直さねば・・・と思うきっかけとなったのが
b747の退役です
餌釣師さん
JALに限らずすべての航空機は自動車のように登記されていますので
しかるべきところから情報を得ることができます。こうした情報を
公開しているマニアのサイト等もありますので、少し調べると
あの時の機材がどうなっているのかは分かります。
空港ンも少ない発着枠の中で一度に大量の人を輸送できる747が
果たした功績は確かに大きいですね。おかげで海外がずいぶんと
身近なものになったと思います。
いはちさん
私の場合、747の初搭乗は幼稚園児の時で、父親の帰省につれて
行かれた時でした。ただなにぶん子供の時の出来事ですので
当時の記憶は全くありません(笑)
明確に記憶があるのは26歳の時にニューカレドニアに行った
時でこの時はAirFranceの利用でした。
最後の写真の場所にJALを退役した747を置いてくる話を
フェリーを担当した寄稿した記事を読んだ事がありますが
やはり胸に迫るものがありました。
あさとさん
私が747に最初に乗った時の話は、いはちさんへのコメントにある
通りですが、747を意識して乗ったのは、2007年のバリに行った時の
KIX – DPSです。当時は関空からもバリへ747で直行便があったんですよね
もともとの基本設計を軍事用の貨物機として考えられた747ですが、
基本設計がそうであるからゆえの非効率、無駄な部分があったとも
いえると思います。
ただ時代の要請にうまく乗ったこともあり、長く航空業界の花形
機種として活躍する事ができましたね。
最近に開発される飛行機は「エコ」と言う時代の趨勢もありますので
あらゆる部分で効率的で無駄のない作りになっているのでしょうね。
飛行機がハレの日の特別な乗り物というのは私も同感です。
ここ数年、自分の誕生日に合わせて上海に行って飛行機を利用して
いるのもそのためです。ただ、今年の誕生日はどうなるかわかりませんが(笑)
初めてコメントします。私は昨年初めて修学旅行で飛行機乗りました。747は小さい頃から好きな機種だったので、本当は747が良かったのですが、配布されたプリントにはJALの文字。帰宅後悔しくて泣いていました。私は受験生のため、もう乗るチャンスは無いと思います。せめてANAの747には最後の日まで飛び続けてほしいです。
b-747推しさん
初めまして。
B747はただ単に移動の手段という事だけではなく
搭乗客の夢も載せて飛んでいた飛行機だと思います。
省エネの流れもありB747の退役が進むのは世界の趨勢と
なっているのは残念でなりません。
ANAの747も今年度中にすべてが退役することが決まっています。
受験頑張ってくださいね
はじめまして。
飛行機に特別興味は無いのですが、以前に関空→千歳で夜の便での747型に何度か乗ったことがあります。
はじめて乗った時、他の飛行機と違い、広い広い客室に驚きました。
往路は私が乗るときはいつもガラガラでしたから、とにかく広い、という印象が残っています。
軽食や湯茶サービス(いまでもあるのでしょうか?)など、懐かしい思い出です。
珍しく撮っていた写真を見ると、翼の部分にJA8914とありました。いまだ現役のようで何よりです。
日本へ来ることもあるのでしょうか…。
のこのこさん
初めまして。コメントありがとうございます。
ジャンボに搭乗客が少ないと本当に広く感じますね。
私も以前にテロ事件直後にバリ島に行ったときはガラガラのジャンボを
経験しましたのでやはり同様にとても広く感じたのを覚えています。
ご利用されたJA8914は現在ではロシアのトランスアエロ航空という
会社で現役で活躍していますね。そのうちJALからほかの航空会社に
転売された飛行機に乗りに行くということも経験してみたいと思っています
現在ではJALの国内線ではドリンクのサービスはありますが
軽食のサービスは普通席ではありません。新聞や雑誌のサービスも
普通席ではなくなってしまいました。
またどうぞこちらのブログにお越しください
参考になりました。ありがとうございます ^-^