寺でテントを倉庫にしまう作業をしていると、滞在先の家の女性が小生を迎えに来ます。今回の法事の最後の行事が始まるので、寺の講堂に上がれというのです。そこで促されるままに寺の講堂に上がることになりました。
講堂に入るとすでに人々が集まっていました。合同で法事を行っている他の家の人も多く集まってきています。祭壇には寺に運び入れたときと同様に、僧形の若者が座っています。彼の前にはご飯が並べられそれを食べている最中でした。
ほどなくして僧侶が読経が始まります。すると茶碗に入った水を皿に移すように言われます。これはプミポン前国王の葬儀の様子を見ていたときも同じようなシーンを見たことがあります。ワチラロンコン国王が祭壇の前で、水差しに入った水を皿に移す映像は何度も流れていました。意味は分かりませんが、故人に水をささげるという意味合いがあるのかもしれません。
その後、僧侶の読経にあわせて出席者も一緒にお経を上げていきます。僧侶が短く行った言葉をそのまま言うだけなのでタイ語が分からない小生も意味は分からないものの、皆と同じようにすることができます。そして読経が終わると僧侶が参列者に聖水を振りまいていきます。聖水を振りまくと言うとパラパラっとする程度かなというイメージを持っていましたが、けっこうガッツリと水をかけられます。そんな聖水は香料が入っているのか、良い匂いのするものでした。
時間にして30分ほどでしたが、僧侶の読経はあっという間に終わることになりました。
高床式の講堂の床はこんな風に隙間が開いています。
講堂の隅には鐘がぶら下がっています
祭壇には僧形の若者が座っています。手前に座って世話を焼いているのがQ君です
水を別な器に移していきます。
最終的にはお水は境内のこちらの木の根元に流すこととなりました。その後、僧侶の読経となります。
水を移し替えるということは
もちろん私には意味が解りませんが
最後に着の根元に撒くということは
なんか輪廻転生にも関係がありそうですね
あさとさん
少し気になったので調べてみました。水を注ぐ儀式は「クルアット・ナム」と言って水が流れるがごとく福徳が満ちるようにと言う意味合いがあるそうです。近いうちに行われるプミポン前国王の本葬でも、その様子を見ることができると思います。
なんでもタイだけではなくインドの仏教寺院の葬儀でも同じことをするようです
水をお皿に汲むのは荼毘に付されるときに喉が渇かないようにするためでしょうか。
それを菩提樹(だと良いな~と思っています)の根元に移す・・
お釈迦さまと深い関係があるのかもしれませんね。
読経が30分で終わるのは良いです。
いはちさん
水に関しては、あさとさんへのリコメに書いた通りです。
読経は思っていたよりも短い時間で終了しました。お経のリズムなんかは日本のものとはずいぶん違いました。