鷹見泉石記念館

江戸時代初期の諸藩では改易や転封等が相次ぎ、藩主が定着しないところが多くあった。下総国古河藩も、江戸時代初期に藩主がなかなか定着しなかった藩の一つである。1602年(慶長7年)から1633年(寛永10年)の間でも、松平康長 -> 小笠原信之 -> 奥平忠昌 -> 永井直勝と藩主がめまぐるしく変わった。

鷹見泉石記念館

古河藩の藩主が定着したのは、後に大老職を務めることとなる土井利勝が藩主となってからである。そんな土井家に幕末近くになって、家老として仕えたのが、今回紹介する鷹見泉石(1785-1858年)であった。鷹見泉石は家老として主君の間近に仕えるとともに、地理、暦学、兵法、天文等様々な学問に通じ古河藩のみならず他藩にもその能力の高さは広まっていた。

また早くから海外事情に関心を寄せ当時としては数少ない海外渡航経験者であった、大黒屋光太夫、足立左内、潁川君平、中山作三郎などとも交流があったと言われる。そのためかペリーの来航(1853年)の際には、いち早く開国する事を主張したと言われている。(もっとも譜代大名の元家老の声が幕政を左右するほどの力は持たなかった)

現在、古河市内に残る鷹見泉石記念館は、1845年(弘化2年)に家老免職となり隠居生活を送った屋敷である。現在は古河市によって手厚く管理され、泉石が送った隠居生活を忍びながらゆっくりとした時間を過ごす事が出来る、そんな場所となっている。

鷹見泉石記念館

鷹見泉石記念館の入り口と今日子ちゃんのバックショット(笑)

鷹見泉石記念館

母屋は落ち着いた造りになっています。

鷹見泉石記念館

庭もきれいに手入れされています。

鷹見泉石記念館

部屋に上がることはできませんが伺い見ることはできます。

鷹見泉石記念館

苔生した石灯籠がいい感じです。

鷹見泉石記念館

井戸も残されています。

鷹見泉石記念館

この日はコンデジでしたが空撮りにも挑戦。なかなか青空を表現するのは難しいです。


6 responses on 鷹見泉石記念館

  1. いはち より:

    閑静な佇まいですな。今日子ちゃんがちょこっと
    写っているのが可愛いです。
    古賀も下総だったんですか~。・

  2. 餌釣師 より:

    トップがころころ変わるなんて、今の日本を暗示しているようですね(笑)
    こんなお屋敷で隠居生活をおくってみたいです。

  3. ま~く より:

    いはちさん
    古河が下総だったのは私も古河を訪れるまで知りませんでした。
    バイクはどこに置こうか迷ったのですが管理人のオジサンが
    ここへ置いて良いと言うので置かせてもらいました

  4. ま~く より:

    餌釣師さん
    藩主がコロコロ変わったのは、少しづつ外様大名を遠ざけていくという
    家康の深謀によるところが大きいです。千葉県の里見氏も
    そんな家康の嫌がらせを相当受けたようですが

  5. あさと より:

    私も隠居生活を送りたいと思うんですが
    現役時代に旅をたくさんし過ぎてるので
    そういう金銭的な余裕はないでしょうねえ・・・・

  6. ま~く より:

    あさとさん
    隠居生活を送るのなら私は台湾で送りたいものです。
    物価は安いですし、食べ物は美味しいですから。
    そして何より寒くないです。


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