伊能忠敬 – 千葉県の水郷 佐原 Vol.2 –

佐原を語る上で欠かすことができない歴史上の人物に伊能忠敬がいる。誰しも日本史の授業で、初めて日本地図を作ったとして紹介される人物である。

伊能忠敬は、延享2年(1745年)に神保貞恒の次男として上総国山辺郡小関村(現在の千葉県山武郡九十九里町小関)で生まれた。宝暦12年(1762年)忠敬が18歳の時に、下総国香取郡佐原村(現・香取市佐原)の商家である伊能家に婿養子に入った。当時の伊能家は酒や醤油の醸造業や貸金業、水運業を営んでいたが、忠敬の商才により伊能家は再興され忠敬自身も佐原地域の役職を務め、佐原の名士として名を成すようになる。

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忠敬が測量を開始したのは、寛政12年(1800年)56歳の時である。最初は私財を投じて測量を開始したが、のちに幕府の援助を受け日本全国の測量を実施した。忠敬自身は文政4年(1821年)に忠敬は74歳で死去するが、地図の作成は周囲の人間によって継続され、文政4年(1821年)に完成したのが大日本沿海輿地全図が完成する事になる。

佐原の市街地を流れる小野川には当時、忠敬が住んでいた旧家が残されている。以前は無料で中を見学する事が出来たのであるが、先の東日本大震災で被災し、現在は中の見学はできなくなっている。また小野川を挟んだ向かいには、有料(500円)となるがコンクリート造りの伊能忠敬記念館が建てられており資料の展示を行っている。

伊能忠敬 - 千葉県の水郷 佐原 Vol.2 -

旧居はだいぶ震災の影響を受けたようで屋根はブルーシートですっぽりと覆われています。

伊能忠敬 - 千葉県の水郷 佐原 Vol.2 -

以前は建物内の見学もできたのですが、今は見れません

伊能忠敬 - 千葉県の水郷 佐原 Vol.2 -

右は母屋ですが、つっかえ棒で支えている状態です。

伊能忠敬 - 千葉県の水郷 佐原 Vol.2 -

こちらは2008年に訪問した際の母屋です。

伊能忠敬 - 千葉県の水郷 佐原 Vol.2 -

当時はこんな風に中の見学ができたのです。

伊能忠敬 - 千葉県の水郷 佐原 Vol.2 -

川向うの記念館は鉄筋コンクリート造りなので被害はありません


6 responses on 伊能忠敬 – 千葉県の水郷 佐原 Vol.2 –

  1. あさと より:

    いろんな素晴らしい遺構も
    お金をかけて残す方策をとらないと
    寺社建築の様なものを除いて
    日本の建築物は普通もろいものですね

  2. いはち より:

    伊能忠敬は千葉県の小学校では(昔)千葉出身の偉人として
    図書室に絵が飾られていたんです。
    佐原の方は地震の被害が大きかったそうですね。
    一週間くらい停電だったと聞きました。
    忠敬の家もこんなに・・・

  3. ま~く より:

    あさとさん
    壊れてしまった建物は修復されるようですが
    少し時間がかかるようです。
    大切な歴史的な遺構ですので、時間をかけてもきちんと
    修復してほしいものです

  4. ま~く より:

    いはちさん
    伊能忠敬はやはり千葉県が生んだ重要な偉人の一人ですね。
    私の子供のころには小学校に肖像が貼られるようなことは
    ありませんでしたが、やはり郷里の偉人として紹介された
    のを覚えています。

  5. Dr.鉄路迷 より:

    全壊せずに修復できる範囲でよく耐えてくれましたね。

  6. ま~く より:

    Dr.鉄路迷さん
    全壊しなかったのは何よりでした。
    一日も早く修復してもらいたいものです。

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