写真に刻印された日付によると上海市内観光を終えた後、午後には屯渓に入ったようである。実は屯渓への移動については明確な記憶がない。ただ片道1,000km以上あり、現在でも自動車で移動するとなると高速道路を使っても10時間以上かかるので、空路を利用したのかもしれない。
屯渓とは安徽省黄山市屯渓区の事である。黄山市は3区(屯渓区・黄山区・徽州区)4県(休寧県・歙県・祁門県・黟県)からなる市で古くは、徽州(きしゅう)と言った土地である。屯渓は安徽省最南部に位置し陸路・空路の要衝となっている場所である。そのため古くから黄山登山に訪れる観光客は、屯渓を拠点とする場所で多くの文人墨客がこの地を訪れている。
そのため文人墨客にとって必須アイテムである文房四宝(ぶんぼうしほう)と呼ばれる、墨、硯、紙、筆に関する産業が発展した土地である。墨では徽州墨と呼ばれる良質の墨を生産し徽州商人の手によって中国全土に広がった。
また硯では歙県(きゅうけん)で産出される硯は歙州硯(きゅうじゅうけん)と呼ばれ、福建省で産出される端渓硯(たんけいけん)と並んで、良品であると称されている。小生も歙州硯、端渓硯をともに所有しているが歙州硯の方が好みにかなっている。
この日はそう言った硯や墨の生産現場を見学する事にり、その際に買い求めた、歙州硯は今も小生のコレクションの中でも特に重要なもののひとつとなっている
上海と屯渓のある黄山市の位置関係。ピンのある位置が黄山市です。直線距離で350kmほどです。
※画像クリックで拡大表示します。
屯渓に到着してすぐに訪れた墨工場。
屯渓に到着した翌日にホテルの窓からの風景
屯渓で買い求めた歙州硯。硯板(けんばん)という硯に加工前ののものです。石の文様の美しいものはこうして観賞用にします。
こういう壁が立ち並ぶ街並みがかつての中国らしくて好きです。
どうも現在の都市景観は馴染めなくて・・・。
今でも老上海と思しき所にはかろうじて残っているような風景ですね・・・もはや風前の灯かもしれませんが。
ただ、ホテルから高層建築が全く見当たらないのは逆に新鮮な感じがしますね。
安徽省は上海から近いイメージあったんですが、けっこう離れているんですね。
黄山も350kmとなると東京⇔名古屋くらいですもんね。
その半分位かと思ってました。
流石グレート・チャイナ。
安徽省は可愛らしい娘さん?の産地だけかと思ったら、こんな産業?があったんですね。
昔懐かしい中国の風景ですね。
今では相当田舎に行かないと見れませんね。
硯にする前に文様に美しいのは硯にしないで鑑賞用にするんですね。初めて知りました。
私もタンケイの硯が好きで、中国を旅する
ときには必ず買い求めていました。
が、いずれも新タンケイだった様です。
この硯は美しいですね。今度からこの様な
硯を探してみましょう。
Dr.鉄路迷さん
かつての中国は大都市でもこういう風景が並んでいましたね。
私も20年ぶりに上海に行ったときはその変貌ぶりに大変
驚きました。都市になじめないことはないですが、牧歌的な
雰囲気のほうが安心できる気がします
餌釣師さん
上海ではこういう光景はほとんど見ることができなくなって
しまいましたね。
当時は屯渓の街では写真のとおり、高いビルなんてものは
皆無でしたが、最近の写真を見るとやはり高層ビルも建っている
ようです。老街の古い町並みは残っていてほしいものです。
私も今回改めて距離を調べてみましたが、かなりの距離ですね。
やはり中国の国土は広大ですね。
安徽省出身の某かなにかあるとすぐに各駅停車で老家に帰って
いましたが、改めて思うとけっこうな距離なんだと再認識しましました
旅途愉快さん
都市中心部では完全に見ることができなくなった光景ですね。
ある意味、貴重な写真なのかもしれません。
硯板を買い求めるなんていうのは相当に酔狂なマニアのすること
ですので普通の人が知っているはずがありませんよね(笑)
いはちさん
端渓も歙州硯も良い石は古い時代に多く掘り出されてしまって
いますから新しく掘られた石でよいものはなかなか出まわらなく
なってきています。ただ新端でも中には良いものが出るときが
あるのでそういうものを探すのは面白いかもしれません
硯は石の美しさと
墨を擦った時の感触と言うか墨触りが大切ですよね
墨が効率よくすれ過ぎるのも
墨本来の艶とか香りとかがうまく出ませんし
すれにくいのは言語道断ですし・・・・
あさとさん
墨の発色を良くするには硯の表面のきめ細かさが重要になります。
その意味で端渓なんかは石質とともに石の美しさから
最高の硯とされています。ただこの世界も奥深いところを
追求していくとなかなか深いんです