黄山に登った翌日は屯渓のホテルへ戻りそこを拠点に黄山市の名所の観光に回る事となった。通常の観光客であれば屯渓老街に行くところであるが、そこは文化団体の訪中団である。回る先は文化遺産となった。
最初に訪問したのは歙県(きゅうけん)にある太白楼である。「太白」とは唐代の詩人李白の字(あざな)であり、太白楼とは李白が住んでいた家と言う事である。ご存じの通り官僚の登用試験、科挙に合格しなかった李白は中国各地を転々とし多くの詩を残した。こちらの太白楼も歙州の地に滞在した場所という事らしい。
太白楼は太平古橋の西側に位置し、楼上に登ると歙県の街全体を見す事ができる。建物のひさしは「挑梁飛檐」という様式が取り入れられた典型的な徽派建築となっている。楼内には李白に関連した書画、書籍などが展示されており、唐代の文人に思いを馳せる事ができるものとなっている。
太白楼の入り口かな?明確な記憶がありません。
太白楼の中の庭園の橋ですね。
さまざまな文物の展示が行われています。
こちらは李白像ですね
周辺は美しい光景が広がります。
いや~これぞまさに私がイメージしていた中国です。
このイメージのまま8年前?に初上陸したものですから面食らいました。
いまとなってはなかなか味わえない風情ですね。
ノスタルジックな中国の田舎の風景、綺麗ですね~。
李白は中国各地を転々としていたということですが、中国の他の地方にも、こういった李白ゆかりの史跡があるのでしょうか?
私が初めて行った頃の中国ですな。
当時はたぶんビールは冷えていなかったと
思いますよ。
良い時代に良い場所にゆかれましたね。
面白い時代の中国です。
外から建物の中の写真を撮っているのは、
館内撮影禁止だから外から中を撮影しているのでしょうか。
そういうことが通用してしまう中国が私は好きでした。
餌釣師さん
やはり中国のイメージは私も以前はこういう光景でした。
現在でも地方に行けば健在でしょうが、沿岸部では
なかなか見ることができなくなってしまいましたね
Akikoさん
李白は今風に言えば放浪癖の明日就職浪人というところでしょうかね
中国各地に李白の足跡が残っている場所があります。
詩を詠むということからこういう風景のきれいなところでの
エピソードが多く残っています
いはちさん
いはちさんが初めて行かれたのもこのころでしたか
ビールは地方では冷たいものを飲むことができない時代でしたね。
鉄路迷さん
どうしてkろういうアングルになったのかは不明ですが
撮影禁止ということはなかったと思います。
現在でもそうですが、博物館などでも写真撮影に関しては
規制されていないところが多いですので、こちらもそんな
規制はないと思います
この風景を見ますと
ここに現在の中国が潜んでいるとは思えない感じですね
私の中国の印象も
この後の過渡期がぽーんとぬけていますので
どのように変わっていったのかが実感できないでいます
あさとさん
私も20世紀に訪問してから次の訪問まで20年近くあきましたので
途中経過がわかりません。田舎だったところが急に都会になって
いたので同じ街という実感がもてません。
現在ではかなり郊外に行かないとこういう光景は見られませんね