長江大橋 -江南游回顧録 Vol.10-

中山陵見学の後に向かったのは長江大橋である。橋の見学と言うと奇異な感じを受けるかもしれないが、訪問当時は鉄道道路併用橋としては世界最長であったのだ。まさに共産革命後の毛沢東思想の象徴的な建造物と言えるものである。

橋自体にもそんな「毛沢東は偉大だ」と言わんばかりの象徴的なものがある。中央部の橋脚にある階段を下りて行くと(現在はエレベータがあるらしい)、大きな部屋がある。そしてそこには巨大な毛沢東像が飾られている。この橋の建設当時はソ連の技術供与で計画が進められたが、1960年代に中ソ国境をめぐって両国関係が冷え込むとソ連の技術者は橋の建設から撤退した。そんな中にあって自前の技術と資金でこの巨大な橋を作り上げた、毛沢東をたたえるという意図が込められた像である。

そんな事を象徴する話が、この時に現地ガイドからあった。橋脚の近くにある小さめなコンクリートの建造物である。ガイドの話ではそれはソ連の技術者が作った橋脚だと言うのだ。しかし橋の大きさに対してはあまりに小さく強度も足りないので、ソ連の技術者が引き揚げた後に小さな橋脚はそのままにし、新たに橋脚を作り現在の橋を造ったという話であった。その時は、そうなのかと思って聞いていたが、のちになって考えればそんな話は捏造であることに思い当る。

大きな橋の場合、上流からの漂流物が橋脚に当たり損傷しないように、橋脚よりは小さな柱状の物を橋脚よりも上流側に設置する。ガイドが話した物は、その橋脚保護用の建造物であるのだ。当時はまだまだそう言った政治的プロパガンダが横行していた時代であった事を示すエピソードである。

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長江大橋に行く前に南京博物館に行きましたが。こちらは内部の写真はなしです。

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長江大橋は巨大な橋です。

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走っている車を見ると時代を感じますね。

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長江の雄大な流れ

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こちらがソ連が作ったと、ガイドが説明したものです

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長江大橋の橋脚の下に行くと

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浅田真央ちゃんではなく、巨大な毛(まお)さんがいます。

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直前に滞在していた屯渓と比べると集合住宅が多く見られます


8 responses on 長江大橋 -江南游回顧録 Vol.10-

  1. 鉄路迷 より:

    中国の自力更生の象徴ですね。
    確かに、例の細い建造物は、中国からそう説明されてしまうと、
    「ああ、そうですか」
    とその場はそれで記憶してしまいますね。
    でも、実は違って、ソ連にもちゃんとした考えと意味がある建造物なわけで、
    逆に中国の無知なところからそれに何の意味があるのか理解できないんですね。
    現在でも中国にはそういうところがあるからいまだに信頼される国にならないんですよねえ。

  2. いはち より:

    たぶんその話は捏造でしょうね。
    中国を旅しているとそんな話が多く出て
    きます。
    私も初めて長江にかかる橋を見たときは
    それでもその大きさに感動しました。

  3. あさと より:

    中国らしくて面白いですね
    見る人が見れば
    あまりに極端すぎてすぐ解ってしまいそうです

  4. 餌釣師 より:

    今じゃ橋脚建設もいろんな消波工法が出来ていますので、また違った作り方をするのでしょうね。
    建設中にわざわざそんなお話しを考えておいたのであればそれはそれで策士がいたのでしょうね(笑)

  5. ま~く より:

    Dr.鉄路迷さん
    自力更生の象徴だからこそ必要以上に誇張された話が
    プロパガンダとして吹聴されるのでしょうね
    当時は私も若く今より素直だったこともありガイドの話を信じてしまい
    ましたが、改めて考えるとそんなことは作り話だということに思い当たります

  6. ま~く より:

    いはちさん
    間違いなく作り話の域ですね。
    こういう話を思い出すと当時は社会主義的な色彩が濃かった
    ことを改めて感じさせます

  7. ま~く より:

    あさとさん
    如何にも社会主義時代の中国らしい話ですね。
    まぁ20年前という時代を感じさせる話です
    橋梁建築に知識のある人であればすぐにわかることなのだと思います

  8. ま~く より:

    餌釣師さん
    確かに現在ではさまざまな方法があるのでしょうね
    私は門外漢ですので、この分野は全くわかりません。
    当時は身の丈以上に国力を誇示する必要があった時代ですので
    そんな話も考えられたのでしょうね


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