古代中国では外敵から街を守るために街全体を城壁で囲んだ。外部との出入りするところには往来用の門を設け、夜間にはこの門を閉じると言うのが一般的であった。
現在ではそう言った城壁や門が残っているところは少ないが、南京の南部には中華門という門と共に当時の城壁が残されている。門とは言うもののその大きさは、東西に128メートル、南北に129メートルあり、、3つの瓮城(小城郭)、4つの城門と27の蔵兵洞がある。
門の奥行きがあることからもわかるように城壁も高さだけではなく厚みもあり、城壁の上には人が登る事ができるようになっている。これは異国の敵が攻めてきた場合でも城壁の上から迎撃できるようになっているためだ。
南京の中華門は1988年に国の全国重要文化保護材に指定されている。日本であれは国宝に指定されたというような話であるが、城壁の上では洗濯ものを干している人がいたりするのはやはり中国だなぁと感じさせる風景であった。
中華門を上から様子です。写真が不鮮明ですね・・・
石造りの門の上はこんな風に歩けます。
なにかイベントをやっていたようです
町を城壁で囲むというのは
造りの差こそあれ
世界各地にありますね
日本も中国のこの様式をまねしたのでしょうけど
門は作れど・・・です
やはり時代時代に統治者の策であったのは間違いないのでしょうけど
そうやって目に見える力やなんかで防ぐしか国防がなかったということですね
街そのものを「城」と呼びますもんね。
「商城」「電脳城」なんかも然り、この当時の名残なんでしょうね。
豫園の近所すこしだけ城壁の跡が残ってますね。
私、1991年に南京に行ったのですが、中華門に行ったのかな。
やる気のない旅行会社のガイドで、
「早い時間の列車で帰る!」
と言うほどケンカしたのでそっちの方ばかり覚えていて、観光地のことは中山陵と南京大橋しか覚えていないんです。
あさとさん
欧州史は詳しくありませんが、町全体を城壁で囲むというのは
欧州でも共通した方法でしょうかね。日本の場合は山や川といった
天然の擁壁となるものが多いせいか町全体を城壁で囲った例は
少ないと思います。
このあたりの違いを検証していくと面白いかもしれませんね
餌釣師さん
おっしゃる通り中国語で今でも「城」というと街のことを指す
ことがありますが由来はこういった事情によるものですね。
上海あたりでは城壁を見る頃ができる場所が限られてしまって
いますが、そういうものを見に行っても面白いかもしれませんね
Dr.鉄路迷さん
観光コースには必ずく見れられる場所ですので行っていると
思いますよ。でもそんなことも忘れるくらいに強烈な体験を
されていたのですね