仏教と一言で言っても日本や韓国、中国等で信仰されている大乗仏教と、タイ、ミャンマーなどで信仰されている上座部仏教の二つの系譜がある。仏陀の教えを祖とする仏教が分派したのは戒律をめぐる考え方にある。
仏陀の死後100年もすると仏陀に直接教えを受けた弟子もいなくなり、教義の解釈や戒律に関して様々な解釈や考えを持つものが現れるようになってくる。そのなかでも仏陀の教えを忠実に守ろうとする保守派と、時代に合わせて解釈や教義の変更を行うと言う革新派が対立するようになる。そしてその対立から「根本分裂」と呼ばれる分派が行われる事となり、保守派が上座部仏教、革新派が大乗仏教と呼ばれる流れを作っていく事となる。
上座部仏教は南ルートでインドシナ半島に広く広まり、大乗仏教は北部ルートで中国、韓国を経由して日本へ伝来する事となる。こういう歴史的な経緯を念頭に日泰の仏教を比べてみるを面白い気がする。
上座部仏教のタイでは、僧侶は仏陀の教え通り午前中に托鉢を行い食事を済ませる事を求められる。地位の差なくすべてオレンジ色の僧着を纏い、女性に近付く事は許されないなど、227にも及ぶ戒律を守って生活している。
一方で大乗仏教の日本の僧侶はと言うと、結婚して家庭を持っている僧侶は珍しくないし托鉢をしたりする僧侶はほとんどいない。なかには飲酒をして剃髪もしないという僧侶さえもいる。
こうした違いは分派の経緯を考えると合点がいくものであるが、私の周囲のタイ人の間では日本の僧侶が不思議に思えてならないそうである。
特に浄土真宗系の坊主の様子は
「坊主にあらず」と映るでしょうね
これは大陸で進化したものではなく
日本に来て新たにできたものですから
仏教の進化形であると同時に新興宗教でもありますからね
ブッダが悟りの一つに「永遠不滅の物はない。」と言う言葉がありますが
ブッダ自身が仏教が永遠に不滅なのか?
の矛盾を抱えながら入滅して行ったと
言う話を聞きました。
時が経つにつれ、弟子たちが勝手に解釈を
し、現在に至っているのでしょう。
高潔な僧侶もいる事はいるのですが
最近はなかなか出会えませんな。
あさとさん
日本ヘは朝鮮半島を経由したり中国から直接伝来したハズですが
朝鮮半島、中国いずれとも寺院の様式、参拝作法などは異なり
日本独自のものになっていますね。
世俗化した日本の仏教スタイルはタイ人にはやはり奇異に映るようです
いはちさん
キリスト教もイスラム教も仏教も後世になってさまざまな
宗派に分かれましたが、やはりそれぞれ解釈の違いで分派していますね
こうしてみると宗教の教えの解釈と昨今話題の憲法解釈は
にたものがあるのかもしれません(笑)
宗教も本来は徳をつんでいく事や、施しといった精神を唱えているはずなんですが、考え方のちょっとしたアプローチが違うだけで争い事のタネになってしまいますよね。
それもむしろルーツの近いものどうしの方が近親憎悪みたいになりやすく。
本来、心の安らぎ、拠り所だったのがストレスの根源になるのは皮肉なものです。
隣の宗教を不思議なものとして見てるだけじゃダメなんですかね?
餌釣師さん
そうですね、各宗教の根っこの部分や源流は同じはずなのに
宗教を名目に争いになるなんてことは相反していますよね。
いろいろと考えさせるものですね