近代文学と市川市 – 市川の歴史・観光 Vol.13 –

市川市には近代文学史で名を馳せた作家が居住した地でもある。今回はそんな市川所縁の作家三名と市川市のかかわりについて書いてみたいと思う。

まず市川と文学者のかかわりで最初に紹介するのは、北原白秋である。白秋の『葛飾閑吟集』の序文「真間の閑居の記」に、大正5年に手古奈霊堂の近くに住んでいたことが記されている。しかし市川における居住期間は短く1年2カ月後には南葛飾郡小岩村(現在の江戸川区小岩)へ転居している。小岩に転居後の住居に白秋は、「紫烟草舎」と名付けていたが、その建物は現在市川市の里見公園内に移築保存されている。

次に紹介するのは『墨東綺譚』などの作品を残し、昭和27年に文化勲章を受章した永井荷風である。荷風は終戦間もない昭和21年に市川市菅野に転居してきた。その後、菅野・八幡界隈で何度か転居したが昭和32年に市川市八幡に新築して転居しその地が荷風の終焉の地となった。彼が亡くなる前日に京成八幡駅近くの大黒屋でカツ丼と日本酒1合を食したのは有名な話である。

そして最後に紹介するのは幸田露伴である。永井荷風と同じ昭和21年に市川市菅野の白幡神社付近に転居している。昭和12年に第1回文化勲章を受章した露伴であるが、東京大空襲の影響で視覚、聴覚に障害を患った露伴は、市川転居後は寝たきりの状態であったらしい。しかし口述筆記で『芭蕉七部集評釈』をまとめ、その数か月後に亡くなっている。寝たきりと言う事もあり、露伴の足跡を示すものは少ないようである。

このように近代文学者と所縁のある場所にもかかわらず、市内にはその足跡が殆ど残っていないのは残念な限りである。



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