江戸時代以前に作られた天守閣が現在も残っているのを、現存天守と呼び日本全国に12城がある。松山城はその現存天守のうちの一つとなっている。
松山城は1602年(慶長7年)に伊予国正木城(松前)城主10万石の大名であった加藤嘉明によって築城が開始された城である。1627年(寛永4年)に加藤嘉明が会津藩へ改易となり、代わって松山藩は蒲生忠知が藩主となる。ところが1634年(寛永11年)ぶ蒲生忠知が参勤交代の途中に急死してしまう。忠知には嫡子がいなかったため蒲生家は断絶となってしまう。翌年の1635年(寛永12年)に松平定行が15万石の藩主となり、松平家が幕末まで藩主を務めることとなる。
1933年(昭和8年)松山城放火事件や、1945年(昭和20年)松山空襲などで多くの建物が焼失するが、大天守を含む21棟の建造物が焼失を免れ現存しそれぞれ国の重要文化財に指定されている。現在では城跡の主要部分が公園として整備されている。
見学を初めて見ると天守閣のみでなく、櫓や石垣などかなりしっかりと保存されているという印象を受けた。意外であったのは下から見るとかなりの高層建築であると思われた天守閣が、それほどの高さはないことである。これは地形をうまく利用し標高の高い場所に天守閣が建てられているので、建物自体の高さはそれほど高くなくても防衛拠点としての機能を果たすことができるためである。
また展示品の内容はそれほど多くはないものの、城の歴史に関する解説は丁寧に行われており、松山城の歴史を知ることができるものになっていた。
松山城に入りましょう。両脇の意思義気も見事です。
こちらの門も重要文化財です
櫓も美しいです。左の壁には迎撃の際に鉄砲を差し込む穴があります。
天守閣に到着。建物自体は地表からそれ程高いものではありません
梯子のような階段を登って内部に入ります。
展示物事態は大したことがありません。こちらは戦で使うのぼりですね
刀です。保存状態は良いようです。
天守閣からは市内が見下ろせます。
見学を終えて振り返って撮影
昔から残っているお城って日本に12しかないんですね。
そりゃぁ知りませんでした。
昨年ドイツに行った際は崩れそうなお城がいくつも残っていたとは対照的ですね。
やはり木造と石造?の差と言うのもあるかもしれませんね。
餌釣師さん
日本で現存天守が12しかないのは大きく2つの要素があります。
一つは江戸幕府が一国一城令によって藩内に複数の城がある場合は焼却させたうえ、
新たな築城や増改築は禁止したことです。江戸時代に火事で天守を焼失した城が
複数ありますが、各藩は再建することができなかったのです
二つ目の理由でもっとも大きなもの事情は明治政府が廃城令をだし
各地の城を取り壊させたことです。この時に幸運にも(?)財政難
など何らかの理由で取り壊されなかったものが現存12天守ということになります。
今から25年ほど前
初めて松山に行った時は松山城は修復の真っ最中で
入場できませんでした
どこをどう修復したのかはもちろん興味もなかったのですが
すごくきれいに整備してありますね
首里城のような再築と
このような修復とでは全く違いますね
へ~。
12だけ。
あとは復元だったのですね。
なんかがっかりで・・・
あさとさん
私が姫路城へ行った時と同じようなパターンですね
周辺の公園を含めてきれいに整備されていました。
天守自体は梯子のこうな階段を上る必要があるので足腰が
悪い人には厳しそうな感じでしたが、当時はこういう感じだったのかな
と感じることができました
やはり修復と再築では全く異なりますよね
Dr.鉄路迷さん
歴史的な背景もあって当時のものが残っているところは
少ないんですよね。いつかは12全部を回ってみたいものだと思います
へ~ 12城だけだったんですね。
松山城の天守閣から松山の町並みを眺めると
殿様気分になります。
天守からの眺望は日本一だと私は思いますよ。
そんなに階段を登らずにすむのも好きですが。
いはちさん
確かにこちらに上ると当時の殿様はこんな風に街を
見下ろしていたのかなという思いになりますね。
自然をうまく利用して建てられた良いお城だと思います