Prologue -江南游回顧録 Vol.01-

最近は長旅に出る事がなかなかできないので完全にネタ切れとなっている。そんな訳で昔話をしていこうかと思う。

話の内容は1992年に初めて中国に行った時のことである。当時の中国は外貨兌換券と呼ばれる外国人向けの通貨と、現地の人向けの人民元の2種類の通貨があった。また外国人の立ち入りを当局が厳しく制限する地域も多く、今では見る事がなくなってしまった、人民服を着ている人も珍しくない時代であった。

この時、小生はある民間文化団体の訪中団のメンバーとして中国を訪問した。成田から上海に入り、屯渓、黄山、南京、無錫を経由し上海に戻るという旅程であった。訪中団の目的が文化交流と現地の文化財の見学であったので、各都市での訪問先には通常の観光客が行かないような場所も含まれていた。そんな経験はまだ若かった小生には大きな刺激となった旅行であった。

掲載する写真については当然ながらフィルムカメラで撮影したものである。ただネガフィルムが行方不明のため掲載する写真はプリントしたものをスキャナでスキャンしたものとなる。そのため不鮮明な写真が含まれることについてはご容赦願いたいと思う。


9 responses on Prologue -江南游回顧録 Vol.01-

  1. 鉄路迷 より:

    私が好きだったころの中国ですね。
    たのしみにしています。
    私、このころは人民服を着て、カメラだけ忍ばせて非開放地に日帰りで潜入していましたよ。

  2. 餌釣師 より:

    日本ではバブル崩壊で、すっかり意欲が落ちていた頃ですね。
    その頃中国ではまだ人民服を着ていたんですか・・・
    当時、私しゃ中国の”ち”の字も関わってませんでした。
    多分プライヴェートで中国旅行に誘われても絶対断っていたと思います(笑)
    でも今となってはこの当時の中国を見ておきたかったなぁと思います。

  3. あさと より:

    私が初訪中して数年後ですね
    まだそのころも人民幣があったんですね
    私も多分ほんの少し持ってると思います
    当時の中国はもちろんビザが必要で
    旅行会社が代行しなければ招聘状が必要だったように記憶しています

  4. 旅途愉快 より:

    兌換券もあって、兌換券が使えるお店が限られていましたね。
    今とは違い、日本から中国へ行くと主義・体勢の違いがはっきりとわかる時代でしたね。

  5. ま~く より:

    Dr.鉄路迷さん
    私の場合は基本的に団体旅行だったこともあり日開放地区に入るという
    ことはできませんでした。夜中にホテルを抜け出して屋台の店で
    食事をするくらいでした。
    中国も変わりましたからね

  6. ま~く より:

    餌釣師さん
    私自身は全く恩恵を受けなかったバブルの後ですね。
    天安門事件があってから1年ほど後でしたので、中国に対するイメージは
    あまり良くなかった時期ですね。
    本文でも書いた通りこのときは文化交流団として中国とかかわって
    いましたがまさか20年ほど後に別な形でかかわるとは思っても
    みませんでした

  7. ま~く より:

    あさとさん
    この訪中の2年後にも訪中しますがその時もまだ兌換券がありました。
    当時は使い残したら大変と帰国間際にいろいろ買い物をしましたが
    今となっては記念に残していてもよかったかもしれませんね。
    当時、訪中のビザを取得するにはおっしゃる通り現地からの
    インヴィテーションが必要でしたね。大学4年の時に中国旅行専門の
    旅行社でバイトしていた時にビザ取得の代行をしていました。
    旅行社では中国現地の旅行社に依頼しテインヴィテーションを発行
    しもらうのですが、実は裏技があって急いでいる時はよく裏技を駆使しました(^^)

  8. ま~く より:

    旅途愉快さん
    現在では中国に行っても感じることが少ないですが
    確かに当時は体制の違いを如実に感じましたね。
    サービス業が発達してなく、何処へ行っても無愛想な
    小姐がいたものです

  9. Akiko より:

    こんにちは。
    少し昔の中国への旅行記、とても面白そうです。
    次回以降を楽しみにしてますね♪

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