上海経由で帰国 -江南游回顧録 Vol.16-

無錫での予定を終えた後は、鉄道で上海へ戻りある文化人とのパーティーに出席し翌日に虹橋国際空港から成田へ帰国となった。しかしそのパーティでフィルムを使い果たしてしまったため、当時の虹橋国際空港や宿泊した花園飯店といった写真は残っていない。今にして思えば残念なことであるが、フィルムカメラの時代の大きな制約で仕方がないこととは思う。

しかしこの時の上海で思い出がないわけではない。この時の上海滞在では2つの印象的な出来事があった。そのうちの一つが、物売りであった。当時は友誼商店という外国人しか入れないデパートがあり、我々のグループは専用バスで友誼商店へ移動した。買い物を終えてバスに戻ろうとすると、たくさんの物売りがバスを取り囲んでいた。そんな物売りの多くが手にしていたのが霊芝である。しかし彼らが手にする霊芝と称するものがどう見てもプラスチックでできたものであり、漢方薬で使用されるものをは明らかに別物であった。当時から偽物大国の一端を示す出来事である。

もう一つ印象深い出来事がホテルのミニバーにあったハイネケンが物凄くおいしく感じたことである。小生にとってハイネケンはあまり好みの味でなく過去にも現在でもほとんど飲まない。しかし地方都市で散々ぬるいビールを飲んできた反動で冷たく冷えたミニバーのビールがおいしく感じたのである。

無錫の街

無錫のホテルからの眺め。バスターミナルが映っているようです。

恵山泥人形

無錫の名産品の中に恵山泥人形というのがあります。
ホテルのロビーに巨大な泥人形がありました。

無錫駅

上海への移動も鉄道でした。この時は日本よりもホームが低いのと初めて見る標準軌に驚きました。

無錫駅

線路に降りて別角度から撮影。列車のことはわかりません・・・

細々と続けてきた回顧録のシリーズであるが、本日が最終回となる。改めて20年前の旅の様子を振り返ってみたが、現在はどのようになっているのか同じルートを巡ってみるのも面白いかもしれないと思っている。


10 responses on 上海経由で帰国 -江南游回顧録 Vol.16-

  1. 鉄路迷 より:

    おおお。
    ルーマニア製の機関車ですね。
    上海地区に集中投入されていました。
    上海列車事故の時の機関車もこれですね。
    きれいに撮れていますね。
    中国でフィルムを見つけるのは大変でした。
    売っていることは売っていても数が少なかったり品質が悪かったり・・・。
    写ルンですを買って中国で現像したら見事に感光しましたよ。
    当時は現像技術も悪かったと思います。

  2. 旅途愉快 より:

    フィルムカメラですとフィルム代と特に現像代がかかるので、今みたいなデジカメみたいにたくさん撮れませんね。
    当時の地方のビールは温い上に中国製の訳のわからないビールで、美味しくないものがおおかったですね。
    上海などの大都市に戻ってきた時の「知っている」ビールを飲むととても美味しく感じました。
    機関車も懐かしいですね。
    私が中国へ来て初めて見た機関車が上海で見た
    この機関車です。

  3. あさと より:

    私もフィルムに関しては大失敗があります
    初めてエジプトに行った時
    たくさんの写真を撮っていました
    今では別料金で高くなってるツタンカーメンの墓なんかも
    当時は全体料金だけで入れましたし
    しかし
    ファラオの呪いで(笑)
    帰りのTG便がドバイで欠航になり
    ドバイでの入国出国時のセキュリティ検査で
    全てフィルムは感光されました・・・・
    ビールに飢えてくると
    ハイネケンがおいしく感じられるんです
    これはE氏も経験されていると思います

  4. いはち より:

    懐かしい機関車ですね。
    私もこれを見たときに写真を撮りまくりました。
    確かに中国の田舎ではビールは生ぬるかったですね。
    川の水で冷やしてあればまだ,ましな方でした。
    私もこの頃は当然フイルムカメラでしたので
    あまり良い写真が残っていません。

  5. 餌釣師 より:

    郷に入れば郷に従えとはよく言ったもので(笑)
    今でこそ上海で冷たいビールも増えてきましたが、大連の人民食堂あたりはまだまだ常温ビールも多かったです。
    挙句、中国人の「冷たいものは身体に悪い」という迷信?を信じて、ビールもジュースも温めのを飲むようにしたらあまり腹を壊さなくなりました・・・多分心理的なものだと思いますが。
    しかし、プラスチックの霊芝って凄いですね。

  6. ま~く より:

    Dr.鉄路迷さん
    ルーマニア製の機関車でしたか。
    戦後はルーマニアも共産国として歩んでいましたので、中国とも
    関係が深かったのでしょうね。
    実はこの2年後の中国旅行では現地でフィルムを買いましたが
    そのフィルムは幸いにも日本で無事現像できました。
    ただガイドからは現地でフィルムを買うのはギャンブルだよ
    と忠告されましたが
    ネガがなくプリントした写真をスキャンしていますので中には
    色がうすくなった写真もあるのですが、こちらの列車の写真は状態が
    良い状態で残っていたのは幸いでした

  7. ま~く より:

    旅途愉快さん
    フィルムカメラの場合は、フィルム代、現像代とコストがかかるので
    気軽にたくさん写真を撮るという状況ではありませんでしたね。
    それを考えるとデジカメの時代になって便利になったものです。
    当時の中国は中国全土で事業展開sh日ているビール会社はなく
    各地方ごとにビールを生産していましたので、地方に行くと知らない
    ビールばかり出てきました。
    旅途愉快さんもこちらの機関車をご存じなのですね。
    さすがですね

  8. ま~く より:

    あさとさん
    エジプトではピラミッドなどの写真を撮るのに料金がとられる
    と聞いたことがありますが、やはりそうなのですね。
    今となってはあまり役立たない知識ですが、カメラ屋さんに行くと
    X線を通さないフィルムを入れる袋が売っています。この時の私も
    そうでしたがフィルムを持って飛行機に乗る場合には、その袋に
    入れておくと荷物検査のX線で感光されずに済みます。
    タイやベトナムのように氷を入れてでもビールは冷やした
    方がおいしいですね。

  9. ま~く より:

    いはちさん
    機関車を撮ったのは、日本とは違う線路幅とホームの高さの
    違いが新鮮に映ったからだと思います。当時は鉄道に興味は皆無
    でしたし、写真が残っていたのは幸いでした。

  10. ま~く より:

    餌釣師さん
    常温のビールでも平気なほど中国ナイズされたのですね(笑)
    上海ですと必ず注文の際に「冷たいの!」とオーダーする私ですが
    当時は某が常温のビールを頼み、余ると私の方に回ってくるので
    結果的に常温のビールを飲んでいましたが・・・(笑)
    プラスチックの霊芝、さすがに買う人はいませんでしたよ

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